主   文

本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。

理   由

上告代理人永瀬精一の上告理由について
論旨は、原判決が、事故と損害との因果関係についていわゆる割合的認定の理論を採用し、過失相殺の規定の類推適用をして、被上告人らに賠償責任を負担させるのが相当であるのは事故後三年を経過した昭和四七年三月二〇日までに発生した損害のうちその四割の限度であるとし、その余は負担させるべきでないと判断したのは、法令の解釈適用を誤つたもので、原判決には判決に影響のある法令違反、理由不備の違法があるというのである。
思うに、身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合において、その損害がその加害行為のみによつて通常発生する程度、範囲を超えるものであつて、かつ、その損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与しているときは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌することができるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原判決が適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1 昭和四四年三月二〇日午後六時四〇分静岡県浜松市a町b番地先路上で本件事故が発生した。被上告人Aは、加害車を、時速四〇キロメートルないし五〇キロメートルの速度で、上告人(当時五二歳)が同乗し、その夫であるBが運転している被害車の一五メートルないし一八メートル後方を追従して進行中、被害車が突然急停車したので、急ブレーキをかけて停止しようとしたが間に合わず、被害車の後部に自車の前部を接触させた。接触の際、Bはブレーキを踏んでいなかつたため、被害車は若干前に押し出された。しかし、その衝撃の程度は軽度であつたが、接触の衝撃は、人体に感じうるものであつた。被上告人Aは、直ちに下車して上告人及びB(以下「上告人ら」という。)に負傷及び車体の損傷の有無を尋ね、車体を点検したところ、目立つた損傷も見つからず、また上告人らから何ら異常がない旨の回答を得た。しかし、念のため医師の診察を受けるよう、また、事故の申告のため警察に同行してもらいたい旨申し入れたが、上告人らは、帰りを急いでいるからと述べて被上告人Aの氏名と住所を聞いただけで帰宅した。その後の点検によつて、本件事故により、加害車には接触のため若干の凹損を生じ、被害車には肉眼では識別できないが手指の感触によつて他の部分との違いがわかる程度の僅かな凹損等が生じたことが判明した。
2 本件事故後の上告人の症状は次のとおりであつた。すなわち、上告人は、同月二二日東病院に赴き、同病院のC医師に対し、当初は何の異常もなかつたが、暫くして気分が悪くなり、頭、頸に痛みがあり吐き気がする等と訴えて同医師の診察を受けたところ、外傷性頭頸部症候群として約五〇日の安静加療を必要とするとの診断で入院を勧められたため、即日入院し、牽引、消炎剤、止血剤の投与等の治療を受けた。同年五月二九日ころから軽いマツサージの治療が始まつたが、同年八月ころから頑固な頭痛、頸部強直、流涙等の症状が続き、昭和四五年ころには頸部強直、左半身のしびれ、頭痛、嘔気、流涙等の症状が固定し、用便等のほかはほとんど離床せず、昭和四六年一二月一五日ころまで注射、湿布及び赤外線・超短波・マツサージ等の物理療法による治療が継続された。上告人は、同日ころ東病院を退院し、その後は自宅で療養を継続したが、時々C医師の往診を受けた。昭和四九年一〇月当時頭痛、頸部痛、肩部痛、左上下肢がきかない、左上下肢のしびれ感、左足背部感覚障害、吐き気、左耳鳴、腰痛、体重減少の症状がある旨の訴えがあり、食事は自分で箸を持つてしていたが、外出時には頸部をコルセツトで固定していた。その後、昭和五二年七月五日板橋中央総合病院において頭部外傷後遺症、頸部変形症と診断され、同日から昭和五四年一月三〇日まで同病院に入院し、頭痛、頭重感、めまい、肩部痛、背部痛、嘔気、手足のしびれ感等の症状がある旨訴え、点滴静脈注射、マツサージ等の理学的療法等の治療を受け、同日同病院を退院し、即日高橋脳神経外科・外科医院に入院し、頸椎症候群、大後頭神経痛の診断を受け、同日以降は頭痛、項部痛、両肩疼痛、眠気、嘔吐、嘔気、両手のしびれ感等の症状がある旨訴え、点滴静脈注射、鎮痛剤投与、マツサージ等の理学的療法等の治療が継続された。同年七月三一日同病院を退院し、その後同医院に通院治療を受けた。最近では寝ていることは少なくなり、頭痛、項部痛の頻度が減少し、嘔吐、嘔気は消失し、日常生活は徐々に活発化してきている。
3 東病院において当初C医師の行つた安静加療約五〇日を要する旨の診断は、客観的な検査結果及びその後の所見から判断して、医師の常識を超えた診断であり、安静加療二週間ないし三週間と診断するのが相当であつたと考えられるが、C医師が右診断をした原因としては、上告人の誇張した愁訴があつたことが窺われ、同病院で初診時に撮影したレントゲン写真によると、上告人の第四・第五頸椎間に軽度の角状形成と第四頸椎の約二ミリメートルの前方へのすべり及び第五頸椎体前上縁の幼若な骨棘形成像が認められるが、これは老人性変性現象によるもので、他に他覚的所見として明らかなものは、頸椎運動の制限のみであり、上告人の症状には心理的な要因が多分に影響していること、同病院の治療も上告人の愁訴を鵜のみにして行つていたこと、上告人には回復への自発的意欲を欠いていたことが窺われ、本訴における鑑定のため実施された上告人に対する諸検査の結果によると、上告人は、頸部が全く硬直して動かず、他動的に動かそうとすると強く抵抗を示すが、これはレントゲン写真上、頸部が全く硬直して動かないことはありえないということと矛盾し、上告人の意思が介在しているか、少なくとも上告人の自発性の欠如が原因と考えられる等、上告人の性格は、自己暗示にかかりやすく、自己中心的で、神経症的傾向が極めて強く、昭和五五年五月一二日当時頸椎は変形著明で骨粗しよう症を呈しているが、これは長期にわたる頸部のコルセツトによる固定の後遺症と考えられる。
4 また、上告人は、昭和四三年三月二三日、国鉄小岩駅で電車に乗る際乗客に押されて左肋骨亀裂骨折の傷害を受け、同年四月五日から同年六月四日まで栗原医院に入院し、退院後も昭和四四年三月一五日まで通院を続け、同年二月一一日にも駅の階段から転落して左胸部及び左下腿打撲傷を負つたが、本件事故当時は、右各負傷は一応治癒していた。上告人は、右小岩駅での事故について国鉄を相手方として損害賠償請求の訴えを提起し、和解により賠償金を受領したことがある。
5 被上告人Aは、事故後車体を点検したが目立つた損傷も見つからず、また念のため医師の診察を受けるよう申し入れたにもかかわらず、上告人らから何の異常もない旨の回答を得ていたので、上告人の受傷について疑惑を持ち、また本件事故の一か月後になつて一〇〇万円の損害賠償を要求してきた上告人らの態度に不信感を持つたため、上告人を見舞うこともなく、また自動車損害賠償責任保険による弁済のほか治療費の支払いもしていない。
6 外傷性頭頸部症候群とは、追突等によるむち打ち機転によつて頭頸部に損傷を受けた患者が示す症状の総称であり、その症状は、身体的原因によつて起こるばかりでなく、外傷を受けたという体験によりさまざまな精神症状を示し、患者の性格、家庭的、社会的、経済的条件、医師の言動等によつても影響を受け、ことに交通事故や労働災害事故等に遭遇した場合に、その事故の責任が他人にあり損害賠償の請求をする権利があるときには、加害者に対する不満等が原因となつて症状をますます複雑にし、治癒を遷延させる例も多く、衝撃の程度が軽度で損傷が頸部軟部組織(筋肉、靱帯、自律神経など)にとどまつている場合には、入院安静を要するとしても長期間にわたる必要はなく、その後は多少の自覚症状があつても日常生活に復帰させたうえ適切な治療を施せば、ほとんど一か月以内、長くとも二、三か月以内に通常の生活に戻ることができるのが一般である。
以上、原審の確定した事実関係のもとにおいては、上告人は本件事故により頭頸部軟部組織に損傷を生じ外傷性頭頸部症候群の症状を発するに至つたが、これにとどまらず、上告人の特異な性格、初診医の安静加療約五〇日という常識はずれの診断に対する過剰な反応、本件事故前の受傷及び損害賠償請求の経験、加害者の態度に対する不満等の心理的な要因によつて外傷性神経症を引き起こし、更に長期の療養生活によりその症状が固定化したものと認めるのが相当であり、この上告人の症状のうち頭頸部軟部組織の受傷による外傷性頭頸部症候群の症状が被上告人Aの惹起した本件事故と因果関係があることは当然であるが、その後の神経症に基づく症状についても右受傷を契機として発現したもので、その症状の態様からみて、東病院退院後自宅療養を開始したのち約三か月を経過した日、すなわち事故後三年を経過した昭和四七年三月二〇日までに、右各症状に起因して生じた損害については、本件事故との間に相当因果関係があるものというべきであるが、その後生じた分については、本件事故との間に相当因果関係があるものとはいえない。また、右事実関係のもとにおいては、上告人の訴えている右症状のうちには上告人の特異な性格に起因する症状も多く、初診医の診断についても上告人の言動に誘発された一面があり、更に上告人の回復への自発的意欲の欠如等があいまつて、適切さを欠く治療を継続させた結果、症状の悪化とその固定化を招いたと考えられ、このような事情のもとでは、本件事故による受傷及びそれに起因して三年間にわたつて上告人に生じた損害を全部被上告人らに負担させることは公平の理念に照らし相当ではない。すなわち、右損害は本件事故のみによつて通常発生する程度、範囲を超えているものということができ、かつ、その損害の拡大について上告人の心因的要因が寄与していることが明らかであるから、本件の損害賠償の額を定めるに当たつては、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した上告人の右事情を斟酌することができるものというべきである。そして、前記事実関係のもとでは、事故後昭和四七年三月二〇日までに発生した損害のうちその四割の限度に減額して被上告人らに負担させるのが相当であるとした原審の判断は、結局正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
最高裁判所第一小法廷
裁判長裁判官  高島益郎
裁判官  大内恒夫
裁判官  佐藤哲郎
裁判官  四ツ谷巖